【買う前に知っておきたい!】2025年モデル スズキ ソリオ全体像レビュー

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地元ディーラーの試乗車で始まる、小さな旅

「2025年モデルのソリオ、入りましたよ」
そう声をかけてきたのは、地元ディーラーの営業マン・山下くん。まだ20代半ばの、初々しさの残る青年だが、クルマ愛に溢れたいい奴だ。彼とは付き合いも長くて、僕の好みをよく知っている。

その日の僕は、ライターとしてではなく、ひとりの父親としてディーラーに向かっていた。どこかで、ただの試乗では終わらない気がしていた。朝の空気は湿り気を帯びていて、梅雨入り間近の気配が漂っていた。

駐車場に停まっていたのは、ソリオのHYBRID MZ。スチールシルバーメタリックのボディが、曇天の下で静かに存在感を放っている。いわゆる“派手ではないが、ちゃんとしている”クルマ。まるで、目立ちはしないが信頼できる同僚のような佇まいだ。

「キー、どうぞ」
手渡されたスマートキーを手のひらに収めた瞬間、僕の中に“走りたい”という衝動が蘇る。たとえそれがファミリーカーであっても、いや、ファミリーカーだからこそ、その走りに宿る「哲学」を見てみたいと思った。

エンジンを始動すると、1.2L直列3気筒+マイルドハイブリッドのZ12Eユニットが、静かに目を覚ます。振動はごくわずかで、耳を澄まさなければ始動したことに気づかないほどだ。

シフトをDに入れ、ブレーキを離す。ソリオはまるで躊躇いもなく、すっと前に出た。その滑り出しのスムーズさに、思わず「おお」と声が漏れる。僕は職業柄、数え切れないほどのクルマを運転してきたが、この滑らかさはクラスを超えている。

ハンドルは軽めだが、節度がある。フロントタイヤが路面を撫でる感覚が、指先にほんのり伝わってくる。街中を流すように走りながら、僕は次第にこのクルマに惹かれていく。

ディーラーを出て、見慣れた街並みを走る。昔は夜な夜な走り回っていたエリアだが、今は家族と暮らす生活の場になった。風景は変わらないが、僕の視点は確かに変わった。

信号待ちで、ふとバックミラーを見ると、後席の広さに改めて感心する。娘たちがここに座っていたら、きっとああでもない、こうでもないとケンカを始めるだろう。だけどその後すぐ、飽きてふたりで眠ってしまう──そんな光景が自然と頭に浮かぶ。

このクルマは、速さを競うものではない。でも、乗る人の“心の速度”を整えてくれるような、そんな懐の深さがある。時速40キロで流す街中で、ふと人生を振り返ってしまう。これが、ソリオというクルマの不思議な魔力だ。

そして営業の山下くんが言った。「ソリオって、たまに“ソリオス”って言っちゃうんですよね」
……いや、それもう完全にロボットじゃん(笑)。次回予告で“合体して巨大化”とかしないでくれよ。

2025年ソリオの進化──マイナーチェンジで得た“自信”

ソリオという名前には、ラテン語で「太陽」を意味する語源があるらしい。いや、正確には“Sol”が太陽で、“io”は喜びとか賛美とか、ポジティブな意味を持つ接尾語。つまり、「陽だまりのような喜び」──そんなイメージが、ソリオには込められている。

そう考えると、2025年モデルに与えられた新たな表情が、グッと説得力を増してくる。顔つきがいい。いや、これは顔つき“すぎる”と言ってもいい。上下に広がったメッキのグリルと切れ長のLEDヘッドランプの組み合わせは、まるで“就活に向けてスーツをビシッと着こなした大学生”のような清潔感と芯の強さを感じさせる。

旧型より少しばかり背筋が伸びた印象。その変化は小さな数字にすぎないかもしれないが、目に見える「変わった感」がある。マイナーチェンジって、“変わらなすぎてもつまらないし、変わりすぎても違和感”という難しい匙加減が必要なのだけれど、今回のソリオはその塩梅がちょうどいい。

インテリアも、静かなる進化を遂げている。メーター周りの表示がより視認性を増し、空調ダイヤルの質感が上がった。大げさじゃないけれど、触った瞬間に「ん?これは変わったな」と思わせるあたり、開発陣の手の入れ方がうまい。

搭載されるパワーユニットは、1.2L直列3気筒エンジンに、ISG(モーター機能付き発電機)とリチウムイオンバッテリーを組み合わせたマイルドハイブリッド。最大出力は82馬力、最大トルクは11.1kgf・m。正直、数字だけを見ると「まあまあ」だ。

だけど、この数字の“先”にある感覚が、とてもよくできている。例えば、市街地をゆったり流しているときのスロットルレスポンス。エンジンとモーターが、ごく自然なバトンタッチで走行を支える。特に0~40km/hあたりのスピードレンジでは、まるで電動カートのような“シームレスな滑り出し”を感じることができる。

そこに絡んでくるのがCVT。かつてCVTといえば「無限ループかよ」と言いたくなるような回転数の上がり方をしていたが、最近のスズキは変わった。トルクバンドをしっかり掴む制御がされていて、ドライバーが意図した分だけ、リニアに応えてくれる。

つまり、「普通の人が普通に運転するために、全力を注いだクルマ」。派手な加速も、過剰な演出もない。けれど、走り終えたときに「いいな」と素直に思える、その“感覚の納得感”こそが、今のソリオの武器だ。

試乗を終えたあと、「どうでした?」と聞いてきた山下くんに、「いや、顔つき変わっていいね」と答えたら、「そうなんです!ちょっと“ナマズ感”薄れましたよね」って。……ちょ、それ本人の前で言ったら泣くぞ(笑)。

地元の坂道で試す──走りの質感と信頼性

試乗コースに選んだのは、地元でもちょっとした傾斜で知られるあの坂道。子どもの頃、チャリンコでゼエゼエ言いながら登った記憶が今も脳裏に焼きついている。

そこを、今はソリオで静かに上っていく。思わず、ハンドルを握る手に力が入る。これはレーシングドライバーとしての癖みたいなものだ。坂道では、車体のバランス変化、トルクの出方、アクセルレスポンス、CVTのつながり、すべてが一気に露呈する。

スロットルを2割ほど開けると、モーターのアシストが加わりながら、エンジンがごく自然に高回転域へと移っていく。そのつながり方が、まるでトルクコンバーターのないレーシングカーのように、クリアで曖昧さがない。これはCVTとは思えないレスポンスの良さだ。

「1.2Lでこれだけ登れるのか」──思わず口に出してしまった。けっして暴力的な加速ではない。でも、必要なトルクを“必要なときに出してくれる”という、この信頼感。これこそが、ファミリーカーに必要な“速さ”なのだと思う。

足まわりも実によくできている。フロントマクファーソンストラット+リアトーションビームというベーシックな構成ながら、ダンパーの伸び側・縮み側の減衰がしっかりチューニングされている。だからこそ、坂の中腹にある横断歩道の段差も、しなやかに受け流してくれる。

ブレーキフィールもいい。坂道途中で停車しても、ペダルの奥で踏ん張ってくれる感覚がある。いわゆる「カックンブレーキ」にならず、じわっと止まれる。この辺りも、実用車としての完成度が高い。

コーナーに差しかかる。ステアリングを切り込むと、車体が傾く“前”に、まずタイヤがしっかり路面を掴む感覚がある。この“先行する接地感”こそが、ドライバーに安心感をもたらす。これはクルマの素性の良さに他ならない。

「普通に走ってるのに、身体が全然疲れないな」──気づけば、そんな独り言が出ていた。ソリオはドライバーの神経をすり減らすことなく、目的地まで導いてくれる。これこそ、走りの本質ではないだろうか。

その帰り道。ちょっと調子に乗ってアクセルを踏んだら、助手席に置いてあった山下くんのパンフレットが“ヒューッ”と飛んでいった。「いや、風速テストじゃないから!」って、自分で突っ込みたくなった(笑)。

横浜の街を流しながら──過去と今が交錯する

ソリオを走らせながら、僕はふと港の方角へとハンドルを切った。かつて何度も走り回った、横浜の海沿いの道。みなとみらい、赤レンガ倉庫、大さん橋──変わらぬ景色の中に、昔の自分が確かに存在している。

あの頃は夜な夜な走りに出かけ、湾岸の直線をアクセル全開で駆け抜けた。目指していたのは、“誰よりも速く走ること”。その思いだけで、何度も同じコーナーを攻めた日々。

けれど今は違う。ソリオのステアリングを握る手は穏やかで、ペダルを踏む右足にも余計な力は入っていない。街のリズムに合わせて走るクルマと、こんなに心地よく過ごせるとは──若い頃の自分には、到底想像できなかっただろう。

ふと、観覧車が見える。娘たちを連れてきたことがあったな。観覧車のゴンドラの中で、「パパのクルマ、うるさい!」と笑われた記憶が蘇る。あれは確か、マフラーを変えた直後だった。家族からのリアルな評価は、ときにモータージャーナリストの言葉より痛烈だ(笑)。

ソリオの走りは、そんな家族との時間を優しく包み込んでくれる。1.2L+マイルドハイブリッドの組み合わせは、都市の流れの中で非常に扱いやすい。加速に無理がなく、減速にも乱れがない。まるで、港に静かに入ってくる船のように、滑らかに街を進む。

ステアリングの中立付近はやや軽めだが、不安感はない。切り始めた瞬間から、しっかりとした手応えが戻ってくる。昔の“遊びが多すぎるステアリング”とは明らかに違う、意図の伝わり方がある。

「走る」という行為の中に、こんなにも“癒し”があるなんて──正直、若い頃の僕に聞かせてやりたい。誰かを乗せることの意味、誰かのために走ることの尊さ。それを、このソリオは静かに教えてくれている。

横浜の街並みが、リアウィンドウの向こうに流れていく。信号で停まるたびに、何かひとつ思い出が蘇る。それは僕にとって、ただの“移動”ではなく、“人生の再確認”だった。

途中、ちょっとノスタルジックになりすぎてボーッとしていたら、横断歩道の手前で通学中の小学生にガン見されていた。
「おじさん、なんで泣きそうな顔してソリオ乗ってんの?」……いや、これは“エモい走り”ってやつなんだよ(笑)。

室内に広がる快適空間──家族の顔が浮かぶ

試乗の途中、ふと人気のない公園の前でクルマを停めた。エンジンを切り、静寂に包まれる車内。シートを倒すでもなく、そのまま背中を預けてみた。

天井が高い。前後方向の圧迫感もない。なのに、どこか包まれるような安心感がある。それはたぶん、空間そのものの設計バランスが良いからだ。限られたサイズの中で「人が心地よく過ごせる場所とは何か?」を真剣に考えた痕跡が、この車内にはある。

目を閉じると、自然と浮かぶのは家族の顔。助手席には妻が座り、後席には娘ふたり。騒がしくお菓子を開けて、飲み物をこぼして、喧嘩して、でも最後はみんな笑ってる。ソリオはそんな“ありふれた幸せ”を、そっと受け止めてくれそうな空間だった。

運転席は視点が高く、見晴らしがいい。だけど、妙な“バスっぽさ”はなくて、ちゃんと乗用車の感覚に収まっている。Aピラーの角度とダッシュボードの形状が絶妙で、前方視界に自然な開放感があるのが好印象だ。

そして何より、スライドドアの恩恵が大きい。都市部の狭い駐車場で、ドアパンを心配せずに乗り降りできること。それがどれだけ大きな価値か、子育て中の家庭ならすぐに頷いてくれるだろう。

シートの作りも秀逸だ。クッションが柔らかすぎず、かといって固くもない。長距離移動でも疲れにくい設計であることが、短時間でも伝わってくる。これは「モノとしての質」が高いというより、「人間の感覚に近い設計」がされているということ。

収納スペースも豊富で、しかも使いやすい場所にある。センターコンソール下のトレー、後席ドアのボトルホルダー、助手席下の引き出し──必要なものが必要なときに取り出せる。その当たり前が、実は一番ありがたい。

インパネ回りのスイッチ類も、使えば使うほどしっくりくる。たとえば、エアコンのダイヤル。クリック感があるのに、回すたびに“ちょうどいい抵抗”を指先に返してくれる。この感触に、僕はなぜか懐かしさを感じてしまった。

「このまま、ここで昼寝したら幸せだろうな」──本気でそう思った。でも、家族がいるからこそ、このクルマの価値はもっと引き立つ。静かな車内で、心の中に浮かぶ家族の声に、僕はそっと微笑んでいた。

あまりに快適すぎて、「これ家のソファより全然いいな」とつぶやいたら、山下くんが即答。「じゃあ奥さんに言ってください。ソリオを“家具”として買うのもアリですよ!」
……おい、そっちの営業トークは斜め上すぎるだろ!(笑)

安全装備と運転支援──クラスを超えた装備群

ソリオに乗り込んでまず驚いたのは、「装備がここまで来たか」という感慨だった。いや正直に言えば、“このサイズ、この価格帯のクルマにここまでの機能が必要か?”と思ったほどだ。でも、走ってみればわかる。その“過剰さ”こそが、今の時代の“ちょうどよさ”なんだと。

例えば、デュアルセンサーブレーキサポートII。これは前方に歩行者や車両を検知すると、まず警告音を出して、ブレーキを自動で強く踏んでくれるシステムだ。市街地での使用頻度が高いソリオにとって、この装備はもはや命綱に近い。

全車速対応のアダプティブクルーズコントロール(ACC)も搭載。高速道路を一定速度で流すような場面はもちろん、渋滞時のストップ&ゴーにも対応してくれる。試しに一般道で少し長めの信号待ちから再発進してみたが、驚くほど自然な加速と減速。まるで“優秀な代行運転手”が操作しているかのようだった。

車線逸脱抑制機能、車線逸脱警報、ふらつき警報。これらは走行中にクルマがレーンの端に近づくとステアリングを少し戻してくれる。自分では“完璧な操作”をしているつもりでも、こうして助けてくれると、「ああ、自分も歳とったなぁ」なんて思ったりもする。

さらにブラインドスポットモニター。隣の車線に車両がいると、サイドミラー内のランプが光って教えてくれる。これ、ファミリーカーにこそ必須じゃないか? 子どもが乗っていたら、どうしても注意が逸れる瞬間はある。それを“気づかせてくれる機械”がここにあるという事実は、かなり心強い。

駐車場では、リヤクロストラフィックアラートが真価を発揮。左右後方から接近する車両を検知し、警告音で知らせてくれる。住宅街の狭い駐車スペースでは、とにかく助かる存在だ。

そして個人的に一番ツボだったのが「ブレーキホールド」。信号待ちでブレーキを踏み続けなくても、停止状態をキープしてくれるアレ。地味だけど、足が本当に楽。妻が使ったらきっと「この機能だけで買いたくなる」と言うに違いない。

こうした先進装備の数々を見ていると、ソリオがただの“軽ベースのスモールワゴン”ではないことがよくわかる。むしろ、これは“街を走る安全空間”とでも言うべき存在だ。

速く走ることではなく、誰かを守るために走ること。そこにクルマの本質を見出した開発陣の想いが、装備の一つ一つに詰まっているようだった。

この装備をひととおり説明してもらったあと、営業の山下くんが言った。「ソリオ、もうAIって名乗っていいですよね!」って……いやそれ、次のモデル名“ソリAI”になっちゃうから!(笑)

夕暮れの帰路──家族の待つ場所へ

ディーラーの駐車場にソリオを戻し、山下くんにキーを手渡すと、僕は深く息を吐いた。「ありがとうございました! どうでした?」と聞く彼に、「うん、家族のこと、いっぱい考えたよ」とだけ答えた。

試乗という名の小さな旅を終えたあとは、普段乗っている“愛車”に乗り込む。正体は伏せておこう。でも、ちょっとだけ言わせてもらえば、エンジン音が響き渡る、僕の“青春の残り火”みたいな一台だ。

スターターボタンを押すと、低く響くエグゾーストノートが胸を震わせる。ああ、やっぱりこの音は、僕の身体に染み込んでいる。けれど、不思議なことに、今日はその音に少しだけ“うるささ”を感じてしまった。

ソリオの静けさ、穏やかさ、滑らかさ。たった数時間の付き合いだったが、それらが僕の感覚を少し変えてしまったらしい。

横浜の街を、夕暮れのオレンジに染まる空の下、走る。自宅へと続く道は、どれも馴染みのあるルート。だけど今日は、心の中に少し違う景色が映っていた。

「子どもたち、大きくなったなぁ」
信号待ちの間に思い出したのは、後席で大声で歌っていた娘たちの姿。チャイルドシートに収まっていた彼女たちは、今やもう助手席に座りたがる年頃だ。

クルマは、人生のステージを映し出す。独りで速さを追いかけた日々、仲間とタイムを削り合った時間。レースの興奮。歓喜。挫折。そして──今。

家族を乗せて、無事に送り届けるという“目的地”。そこに向かって、今の僕はハンドルを握っている。

玄関のドアを開けると、娘たちが走ってきた。「パパ、試乗どうだったー?」
「いいクルマだったよ」
「また試乗行くの? 連れてってー!」

そう言いながら僕の足元にまとわりつく娘たちを見て、僕は改めて思う。
いいクルマとは、ただ性能がいいとか、燃費がいいとか、そういうことじゃない。
“そのクルマと一緒に、どんな時間を過ごしたいか”──それを想像させてくれる一台こそ、本当に“いいクルマ”なんだ。

ソリオは、まさにそんなクルマだった。

ただひとつ困ったのは、その晩、妻がポツリと言ったひと言──「ねぇ、次はソリオでもいいかもね」。
……あれ? これって、遠回しに“次の愛車候補決定”ってこと? 俺、聞かなかったことにしていい?(笑)

総括──ソリオが教えてくれたこと

2025年モデルのスズキ・ソリオ。スペックを語れば、1.2L+マイルドハイブリッド、全方位モニター、最新の運転支援システム……その一つひとつが確かに進化していた。

でも、今回の試乗で僕の心に残ったのは、そうした数字や装備以上の“感触”だった。

滑らかに発進し、軽快に街を流れる走り。その背後には、家族の安全や日常の快適さを徹底的に追求した設計思想がある。開発者の“想像力”が詰まったクルマ。それが、ソリオという存在なのだ。

僕自身、スポーツカーやハイパフォーマンスモデルの世界を歩んできた。サーキットでの限界領域、コンマ1秒を削る緊張感、それを越えた先にある「速さ」の喜び──そうした世界にずっと魅了されてきた。

けれど、今の僕には、それとは別の“走りの幸せ”が見えるようになった。
それは、大切な人たちを安心して乗せられるクルマ。
毎日の買い物や、家族の送り迎えをストレスなくこなせるクルマ。
そしてなにより、“どんなときも自分を落ち着かせてくれる空間”としてのクルマ。

ソリオには、その全部があった。

もちろん、“刺激”という意味では、物足りなさを感じるドライバーもいるかもしれない。でも、それは“走りの快感”をただ加速Gやコーナリング速度で測る時代の話だ。

今、僕が求めている“走りの意味”は、心を穏やかにしてくれること。
誰かの笑顔を守るために走るクルマ。
そんな一台に出会えたことは、正直、ちょっとした驚きだった。

試乗を終えて家に帰り、娘に「どんなクルマだったの?」と聞かれた時、僕は迷わずこう答えた。

「うん、パパより優しいクルマだったよ」

その言葉に、娘がクスクスと笑った。
なんだか、ソリオにちょっと嫉妬しそうになったのはここだけの話(笑)。

クルマは、ただの移動手段じゃない。
人生の風景に寄り添い、時にはその中心になり、時には静かに背中を押してくれる存在。

ソリオというクルマは、そんな“人生の伴走者”になる資質を、間違いなく持っていた。

ありがとう、ソリオ。
またいつか、家族4人でドアを開けて乗り込みたくなる日が来るかもしれない。

ただ……娘に「パパより優しい」って言われたその夜、
妻にもまったく同じことを言われたのはちょっとショックだったぞ(笑)。

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