サイトアイコン ドラマの世界

『アドレセンス』は実話?ワンカット演出の意味とその狙いを徹底考察

Netflixの新作ドラマ『アドレセンス』が、予想外の注目を集めています。大きな宣伝や有名俳優の起用がなかったにもかかわらず、米国Netflixで初登場1位、日本でもTOP10入りという快挙を達成。

本作は、同級生殺しの容疑をかけられた13歳の少年を主人公とする、衝撃的な犯罪ドラマです。そのリアルな描写もさることながら、最大の特徴は「各エピソードがすべてワンカットで撮影されている」という映像手法。

この記事では、『アドレセンス』は実話に基づいているのか? そしてなぜワンカット演出が用いられたのか?という2つの大きな疑問に迫り、その狙いや効果を徹底的に考察していきます。

この記事を読むとわかること

  • Netflixドラマ『アドレセンス』が実話かどうかの真相
  • ワンカット演出が持つ意図と心理的効果
  • 家族や社会に問いかける重層的なテーマの核心

『アドレセンス』は実話なのか?

Netflixで配信が開始されたばかりの『アドレセンス』は、その圧倒的なリアリティと重層的な心理描写により、多くの視聴者に「これは実話なのでは?」という疑問を抱かせています。

特に、13歳という幼さで殺人容疑をかけられる少年の姿、そしてその周囲の家族や警察、心理療法士といった登場人物たちの反応や感情の揺れ動きが、あまりにも“現実的”であるためです。

このようなリアルな描写が多くの人の心をえぐり、「これは本当にあった事件ではないのか?」という感想へとつながっているのは間違いありません。

現実の事件がモデルになっている可能性

結論から言えば、『アドレセンス』は特定の実在事件を直接モチーフにしているわけではありません

公式な発表やインタビューにおいても、実在の事件をベースにしたとの明言はされておらず、本作はフィクションであるとされています。

しかしながら、作品全体を通して描かれるテーマ――未成年による重大犯罪少年の心の闇メディアや社会の過剰反応など――は、現実社会において繰り返し起きてきた事件や問題に通じるものであり、多くの視聴者が“どこかで見たことがある現実”を感じるのも無理はありません。

イギリスでは過去に、10代前半の少年が関与した殺人事件や暴行事件が社会問題化しており、そのたびに「子どもに罪は問えるのか」「家庭環境や社会は責任を負うべきか」といった議論が巻き起こってきました。

『アドレセンス』が描くのは、まさにそのような現代社会の縮図なのです。

監督・脚本家の視点に見る“リアル”の追求

『アドレセンス』の脚本を手がけたジャック・ソーンは、これまでも社会性の強いドラマを多く手がけてきた脚本家です。

彼がこれまでに執筆した『トキシック・タウン』や『ザ・エディ』などでも顕著だったように、実際に起こり得る問題を繊細に描き出すスタイルが、本作でも存分に発揮されています。

また監督のフィリップ・バランティーニは、映画『ボイリング・ポイント/沸騰』においてもワンカットという手法を用い、“今その瞬間に起きている現実”を映像で見せる演出に長けた人物です。

2人のタッグによって生まれた『アドレセンス』は、リアルでなければ意味がないという共通哲学のもと、脚本・演出・演技すべてにおいて徹底的に“本物らしさ”を追求した作品だと言えます。

セリフ回しや間の取り方、親子間の沈黙すらも意味を持っており、まるで隣家の出来事を覗いているような感覚にさせられます。

その結果、「これは作り話ではなく、実際にあったことだ」と錯覚させるような強烈なリアリティが生まれ、視聴者の感情に深く訴えかけてくるのです。

つまり、『アドレセンス』は実話ではありませんが、それ以上に“現実味”に満ちたドラマであり、「フィクションであることを忘れてしまう」ほどの完成度を持った作品だといえるでしょう。

ワンカット演出が持つ意味とは?

『アドレセンス』を語るうえで欠かせない要素が、全エピソードを“ワンカット”で撮影しているという演出手法です。

1話約60分の長尺ドラマを、カットを一切挟まずに撮影し続けるという挑戦は、テレビドラマにおいては非常に稀で、演出・演技・技術のすべてが高度に連携しなければ成り立たないものです。

このワンカット演出は、単なる映像の“見せ技”ではなく、本作の緊張感とリアリティを極限まで高めるための根幹的な演出意図として採用されているのです。

リアルタイムで進行する“緊張感”の再現

ワンカットで進行するということは、登場人物たちの時間が視聴者の時間と一致するということを意味します。

観客は、シーンをジャンプしたり編集で省略されたりすることなく、まるでその場に一緒に居合わせているような臨場感の中で物語を体験することになります。

たとえば、第1話の冒頭では、主人公の少年が武装警官に自宅で逮捕される場面から始まりますが、そのままパトカーに乗せられ、警察署に連行され、尋問されるまでがすべてリアルタイムで描写されます

このような手法によって、視聴者は登場人物と同じように息をのむ時間、焦燥、葛藤、混乱を共に体感することになるのです。

これは単なる“観る”ドラマではなく、“体験する”ドラマへと昇華させる技術だといえます。

『ボイリング・ポイント』に通じる映像哲学

この手法は、監督フィリップ・バランティーニが過去に手がけた映画『ボイリング・ポイント/沸騰』でも用いられたものです。

その作品でも90分を超えるレストラン営業の一夜を、ノーカットで描ききり大きな話題となりましたが、『アドレセンス』ではそれをテレビドラマに応用するというさらに大胆な挑戦が行われています。

しかも、本作では場所や時間軸が毎話異なっており、警察署・家族の自宅・病院・野外といった多様なシチュエーションで1カットを成立させる必要があるため、撮影の難易度は桁違いです。

それにも関わらず、違和感のない自然な演技と演出が貫かれており、視聴者はその裏側にある努力や構成を一切感じることなく、物語に没入してしまいます。

バランティーニ監督の“ワンカット主義”は、単なる技術的興味ではなく、登場人物と観客との距離を限りなくゼロにするという映像哲学に基づいています。

それが、観る者の感情を強烈に揺さぶる結果となっているのです。

俳優たちの超人的な演技力

『アドレセンス』においてワンカット演出の成功を支えているのは、まさに俳優たちの卓越した演技力に他なりません。

通常のドラマではカットを重ねてセリフのつなぎや動きを編集できますが、本作ではそれが一切許されません。

それにもかかわらず、感情の変化、セリフの自然な流れ、視線や間の取り方までが完璧に再現されており、まるでドキュメンタリーを見ているかのような没入感を生み出しています。

1時間超のノンストップ演技を支える準備と集中

各エピソードがワンカットで約60分。つまり、俳優たちはリハーサル劇のように、1時間以上を一度のテイクでやりきらなければならないという極限状態に置かれています。

ミスをすれば最初からやり直し。一瞬の集中力の欠如がすべてを台無しにしてしまうというプレッシャーの中で、俳優たちは“芝居”ではなく“生きる”ことを求められているのです。

このような高難度の演技を可能にしているのは、綿密な準備と徹底したリハーサル、そして互いの呼吸を完璧に読み合うチームワークの賜物です。

セリフの分量も通常より多く、状況の変化に即した自然なリアクションが求められるため、舞台演劇以上の緊張感が張り詰めています。

カットなしだからこそ伝わる感情のリアリティ

カメラが1秒たりとも止まらない中での演技は、“演じる”というより“その人物としてそこに存在する”ことを意味します。

とくに印象的なのは、家族同士の静かなやり取りや沈黙の場面です。編集が介在しない分、呼吸や目の動き、微細な表情の変化までが、そのまま視聴者に伝わってくるのです。

これは、“俳優がどれだけ演技をしているか”という視点ではなく、“視聴者がどれだけ感情移入してしまうか”という視点に立った演出であり、その効果を最大化しているのがノーカットという制約の中での究極の演技なのです。

主人公の少年役を務めたオーウェン・クーパーは、まだ若手ながらこの重たい役柄を圧倒的な集中力と繊細な演技で演じ切っており、今後のイギリス演技界を代表する存在になる可能性すら感じさせます。

彼だけでなく、父親役のスティーヴン・グレアムや、母親を演じる俳優陣もまた、感情の極限を静かに、そして力強く表現しており、本作の完成度を根底から支えているのです。

観る者に問いかける“罪”と“家族”の物語

『アドレセンス』は、単なるサスペンスや法廷劇ではありません。本作の本質は、“家族”という存在の脆さと強さ、そして“罪”とは何かという問いを、観る者に突きつける物語です。

13歳の少年が殺人の容疑をかけられるという異常な状況。その中心で描かれるのは、無実を信じたい親の葛藤、揺れる兄弟姉妹の視線、そして崩れていく家庭の輪郭です。

ワンカット演出によってその変化がリアルタイムで描かれるため、視聴者はまるでその家族の一員になったかのように、感情のうねりを共に経験することになります。

思春期に起きた悲劇と親たちの葛藤

“アドレセンス”という言葉が意味するのは「思春期」。不安定で、感情が暴れ、未完成な心と体の時期です。

本作の主人公も、まさにその真っ只中にいます。何が善で、何が悪か。何を言えばよくて、何を隠すべきか。その判断すらも曖昧な年齢に、取り返しのつかない出来事が襲いかかるのです。

その姿を見守る親たちは、自分の子どもを信じる一方で、どこかで「もしかして本当に…」という恐れとも向き合わなければなりません。

疑うこともできず、信じることも怖い。そんな出口のない感情が、画面を通して観る者にも確実に伝わってきます。

観る者すべてに突きつけられる「もし自分の子どもだったら」

『アドレセンス』が優れているのは、決して“他人ごと”として描いていないことです。

ドラマで描かれる家庭はごく普通の中流層。父は真面目な労働者で、母も献身的。兄弟との関係も決して悪くない。どこにでもいるような家族が、ある日突然、犯罪の渦中に巻き込まれる。

そのリアルさが、視聴者に強く問いかけてきます。

「もし、自分の子どもが同じ立場になったら、あなたは何を信じるだろうか?」

この問いはあまりにも重く、簡単には答えが出せません。

そして本作は、その答えを強要することなく、静かに、しかし容赦なく観る者の心の奥を揺さぶってくるのです。

結局のところ、“罪”とは何か?“家族”とはどこまで支え合えるのか? 『アドレセンス』は、視聴後にも長く心に残る人生の問いを投げかけてくる作品だと言えるでしょう。

まとめ:『アドレセンス』が提示する映像と現実の交差点

Netflixオリジナルドラマ『アドレセンス』は、配信直後から話題となり、多くの人々の心を揺さぶっています。その理由は、単にドラマとしての完成度が高いというだけではありません。

それ以上に、“現実と地続きにある物語”を、極限までリアルに描いたことが、多くの共感と衝撃を呼んでいるのです。

実話ではないが、“現実”はここにある

本作が実話に基づいているかどうかという点においては、明確なモデル事件は存在しないとされています。しかし、その物語の背後には、現代社会で実際に起きている問題や事件、家族の崩壊と再生のドラマが確かに存在しています。

つまり『アドレセンス』は、“フィクションであるがゆえにリアル”なのです。

そのリアルさは、脚本や演出、俳優の演技、そして演出技法のすべてが一体となって生み出された結晶であり、視聴者に「これは作り話ではない」という感覚を強く抱かせます。

ワンカットが生み出す“体験”としてのドラマ

とりわけ、ワンカット演出という大胆な選択は、この作品の世界に深く入り込むための決定的な手段でした。

時間を圧縮せず、視点を飛ばさず、編集で都合よく整えずに見せる物語は、まさに“その場で起きていること”として視聴者に迫ってくる力を持っています。

視聴後、観る者の心には恐らくさまざまな問いが残るでしょう。「この少年は本当に犯人なのか?」「家族は正しい選択をしたのか?」――その答えは、ドラマが終わっても提示されません。

だからこそ、『アドレセンス』は“観る”のではなく、“考える”ドラマなのです。

そしてその問いかけは、自分自身の家族や社会との向き合い方を見直すきっかけにもなり得る、非常に深い作品体験へとつながっていきます。

わずか4話という短い尺でありながら、その重みは想像以上。『アドレセンス』は、2025年を代表するドラマの1本になる可能性を秘めた、“心に残る社会派作品”です。

この記事のまとめ

  • 『アドレセンス』は実話ではないが社会的リアリティに満ちた作品
  • 全話ワンカット演出が生む没入感と緊張感が圧倒的
  • 俳優陣の高度な演技力がリアリズムを支える
  • “罪”と“家族”という重いテーマを視聴者に突きつける
  • 観ることで自分自身の価値観を揺さぶられる
モバイルバージョンを終了